2013年7月12日 公開
先日で震災から2年4ヶ月が過ぎましたね。震災当時は22歳だった僕も25歳になってしまいました。今でも自分は何が出来たのかと考えを巡らせることがありますが、なかなか答えは見つかりません。
この2年間は僕にとっては、例えて言うならばサハラ砂漠を横断しているような気分でした。そもそもいままでまともな成功体験をしてこなかった自分が、被災者や被災地の為に出来ることなんて、あったとしても微々たることだろうと思っていました。事実、知識や人脈、コミュニケーションにいたるまで、自分の能力無さは想像以上でした。ただ、いつかは体力的にも精神的にも力尽きる時は来るだろうけど。行けるところまでは行くという、阿呆みたいな根性論でどうにかやってきました。
どうにかこうにか、取材者を見つけ。映画を作り、上映もしました。上映では、福岡から北海道まで、いろいろな所に行きました。というと順調にいっているように見えますが、放っておいても誰にも見てもらうことは出来ないので、自分で場所を探し、協力者を捜し、自腹を切って宣伝もします。
自分の映画を上映するだけでは自己満足になってしまうのではと思い、映画祭もやりました。自分の思いを他人に伝えることがいかに難しいか痛感しました。
時が経つにつれ、睡眠時間が短くなり、疲れが取れなくなり、起き抜けには突発的な不安に襲われるようになり、何時間も寝床から出られない状態が続く用になりました。頑張れば頑張る程孤立し、誰にも相談できなくなりました。そしてある瞬間からありとあらゆる感情が何も感じ取れなくなりました。まあこれも予期していたことというか、ここいらが限界だったんだろうなと思います。
いま改めて考えるのは、僕が何故こんなことをしたのかということです。
自分の作品の上映の際に、僕はあまり自分の作品を見返さないようにしていました。「本当にこの内容で良かったのか。」「被災地や被災者へ失礼ではないか。」と不安だったからです。制作もそうですし、上映の際にも、自分が被災地や被災者のために出来ることが果たしてあったのか。それはこの作品によって達成されているのか。そのような疑問を感じながらの活動でした。
もちろん、僕の作品で語られている、被災地の外から来たボランティアが出来る事がある。という事を僕は信じています。でもそれは一部の地域に限った話かもしれないし、ボランティアが100%良い結果を生む訳ではないし、何よりそれを伝えて意味があるのか、疑問がありました。
ただ、僕の映画によってもしボランティアが増えなくとも、募金する人が出てこなくとも、「僕は被災地に関心があるし、理解したいと思っている。」という事は発信できるのではないかと、今はそのように考えています。
僕は、25年前、視覚障害者として生を受けました。小さい頃から自分が他人と違う事に疑問を持ったり、他人には出来る事が自分には出来なかったり。それによって、いじめられt事もありましたし、現実に今もいろいろ苦労しています。そして、そうのような僕の悩みや苦しみは、極論を言えば、健常者の皆さんには理解できないでしょう。
ただそれでも、人にそのような悩みを聞いてもらったりする事によって前向きになれる事もあります。
問題解決の為の核心は。理解できるか出来ないかではなく、理解しようとする姿勢があるか。理解したいと思われているか。だと思います。傾聴とかで聞き手に徹するというのはこの一面では正しいと僕は思います。
そういう意味では、僕のように映画で発信するという行為が、被災者や被災地の人々にふれたときに、不器用にも被災地の事や被災者を理解しようとしている奴がいると思ってもらえればいいのかなと思いました。
話は変わりますfが、僕が高校3年生の時、ある新聞記事を見て衝撃を受けた事を今でも覚えています。5センチ四方くらいのその記事が伝えていたのは、福知山線脱線事故で無くなった方の遺族が、大切な人を失った苦しみに耐えきれず、飛び降り自殺をしたという記事でした。
僕はその時思ったのは、この人が自殺した事を自分は責められない。という事でした。僕自身は自殺しても誰も得しないし、しない方が良いという至極一般的な考え方なのですが、とびきりの苦しみを抱えて生きなければならない人が居ると知った時に、どうしてもその行為を否定できなくなってしまったのです。
例えば、園子温の「希望の国」に出て来たような、すべてを奪われた福島の老夫婦の自殺を、僕は否定する勇気がありません。それでも、その人たちに死んでほしくないと思った時、僕たちには何が出来るのでしょうか。
果たして僕の映画で、誰かの命が救われるかどうかは、僕の知れるところではありません。
それでも、苦しみを抱えた誰かの心に、一筋の光が射すような、そのような気分になれるような作品を、僕は作っていきたい。発信していきたいと僕は思います。
どんなに苦しい事を体験しても、生きていてよかったと思える瞬間が、僕の創作行為の先にある事を信じて、僕もまた、精一杯生きていきたいと思います。
2013/7/12 吉本 涼